導入:日本政治の地殻変動 – 26年の歴史に幕を下ろした自公連立
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2025年10月10日、日本政治に激震が走りました。26年という長きにわたり、日本の政権運営の中枢を担ってきた自民党と公明党による連立政権が、ついに解消されたのです。この歴史的な出来事は、単なる政党間のパートナーシップの終了に留まらず、今後の日本の政治のあり方を根本から揺るがす地殻変動の始まりを意味します。
かつては「政権の安定装置」とまで言われ、数々の選挙で自民党を支え、政策面でも独自の存在感を発揮してきた公明党。しかし、映像で指摘されているように、近年の同党は「ジリ貧」と揶揄されるほどの苦境に立たされています。支持母体である創価学会の組織力の変化、連立による埋没、そして国民の政治不信の高まり。これらの複合的な要因が、公明党を崖っぷちまで追い詰めました。
今回の連立解消は、そうした公明党の苦悩と焦燥の現れであると同時に、生き残りをかけた大きな賭けの始まりでもあります。その象徴的な動きが、これまで党の伝統として固く禁じてきた「小選挙区と比例代表の重複立候補」の解禁論です。小選挙区で敗れても比例代表で復活当選できるこの制度は、議席を確保するための「保険」となり得ますが、一方で有権者の審判をないがしろにする「ゾンビ議員」を生み出すとの厳しい批判も免れません。
本記事では、この激動の中心にいる公明党に焦点を当て、その現状と未来を徹底的に解剖します。
- 第1章では、連立解消の伏線となった2024年衆議院選挙の惨敗を詳細に分析し、公明党が直面する構造的な課題を浮き彫りにします。
- 第2章では、26年間続いた「蜜月」はなぜ、そしていかにして崩壊したのか、その真相に迫ります。
- 第3章では、禁断の策ともいえる「重複立候補」解禁論の背景と、それがはらむ問題点を多角的に検証します。
- 第4章では、野党となった公明党がどのような道を選択するのか、その未来像と日本政治への影響を展望します。
これは単なる一政党の物語ではありません。自公連立という戦後政治の一時代が終わりを告げた今、私たちは新たな政治の季節の入り口に立っています。この記事を通じて、その変化の核心を共に読み解いていきましょう。
第1章:公明党の「終わりの始まり」- 2024年衆院選の惨敗が示すもの
2024年10月27日に投開票された第50回衆議院議員総選挙は、公明党にとってまさに「終わりの始まり」を告げる鐘の音となりました。公示前の32議席から大きく後退し、獲得できたのはわずか24議席。この数字以上に深刻だったのは、その敗北の中身です。長年、自公連立の根幹を支えてきた「選挙協力」という方程式が、もはや機能不全に陥っていることを残酷なまでに突きつける結果となったのです。
小選挙区での総崩れ – 牙城はなぜ崩れたのか
公明党の選挙戦略の生命線は、自民党との協力のもと、候補者を擁立する小選挙区で確実に勝利し、強固な地盤を築くことにありました。しかし、この衆院選で公明党は擁立した11の小選挙区のうち、実に7つで敗北を喫するという歴史的な大敗を喫しました。
- 激戦区での連敗: 特に衝撃的だったのは、これまで議席を守り続けてきた選挙区での敗北です。北海道10区の稲津久氏、そして党のトップである石井啓一代表(当時)が出馬した埼玉14区での敗北は、党内に激震を走らせました。これらの選挙区では、自民党支持層からの支援がなければ勝利はおぼつかない構図でしたが、自民党の裏金問題に端を発する政治不信の逆風が、自公両党の支持層を直撃しました。
- 大阪での維新との全面対決と惨敗: 中でも、公明党の凋落を象徴するのが大阪での結果です。大阪では、日本維新の会との長年の「すみ分け」が終わり、擁立した4つの小選挙区(3区、5区、6区、16区)すべてで維新候補と激突。結果は、4戦全敗というあまりにも無残なものでした。かつては都構想を巡る住民投票などで協力関係にあった両党ですが、維新が大阪の地方議会で単独過半数を獲得したことでパワーバランスが崩壊。維新は公明党に頼る必要がなくなり、国政選挙でも容赦なく牙を剥きました。この大阪での敗北は、公明党がもはや「関西の雄」ではないという現実を白日の下に晒したのです。
比例代表にも陰り – 「100万票減」の衝撃
小選挙区での苦戦は、比例代表の得票にも深刻な影響を及ぼしました。公明党の比例での総得票数は約596万票と、前回2021年の衆院選から実に115万票近くも減少しました。これにより、比例での獲得議席も公示前の23議席から20議席へと3議席減らす結果となりました。
この得票減の背景には、いくつかの要因が考えられます。
- 支持母体・創価学会の組織力の変化: 公明党の集票力の源泉は、言うまでもなく支持母体である創価学会の強固な組織力にあります。しかし、会員の高齢化は深刻な課題であり、かつてのような「F票(フレンド票)」と呼ばれる知人・友人への票の拡大にも限界が見え始めています。また、若い世代の学会員の間で、政治活動への関与度が低下しているとの指摘も根強くあります。
- 連立による埋没と支持者の離反: 26年にも及ぶ自民党との連立は、公明党に「与党」としての実績をもたらす一方で、「平和と福祉の党」という本来の理念を曖昧にさせるという副作用も生み出しました。特に、安全保障関連法制や特定秘密保護法など、従来の党の理念とは相容れない政策に賛成せざるを得なかったことは、熱心な支持者や学会員の中に小さなしこりを残しました。自民党の裏金問題は、クリーンな政治を掲げる公明党にとって致命的であり、「なぜ自民党と手を組み続けるのか」という支持者の不満が、投票率の低下や一部の離反に繋がった可能性は否定できません。
- 消極的な投票行動: 与党への強烈な逆風の中、公明党の支持者の中にも「積極的に投票に行く気になれない」という空気が広がりました。投票率自体が戦後3番目の低水準(53.84%)であったことも、組織力に依存する公明党にとっては不利に働きました。
この衆院選の結果は、公明党執行部に深刻な危機感を抱かせました。選挙後、石井啓一代表は敗北の責任を取り辞任を表明。後任には斉藤鉄夫国土交通大臣が就任しましたが、党再生への道筋は全く見えていませんでした。
自民党との選挙協力はもはや勝利の方程式ではなく、むしろ「共倒れ」のリスクをはらむもろ刃の剣と化していました。そして、自力で小選挙区を勝ち抜く力も失われつつある。この八方塞がりの状況が、のちに党の根幹を揺るがす「自公連立解消」そして「重複立候補解禁論」へと繋がっていくことになるのです。2024年秋の惨敗は、単なる一選挙の敗北ではなく、公明党という政党の存在意義そのものが問われる、長いトンネルの入り口だったのです。
第2章:26年の蜜月の終焉 – なぜ自公連立は崩壊したのか?
1999年10月、小渕恵三首相(当時)と神崎武法・公明党代表(当時)の固い握手から始まった自公連立政権。民主党政権時代の一時的な下野を除き、実に26年間にわたって日本の政治を動かしてきたこの巨大な枠組みは、なぜかくもあっけなく崩壊したのでしょうか。その背景には、2024年の衆院選大敗で顕在化した構造的な問題に加え、いくつかの決定的な「引き金」が存在しました。
引き金その1:許容限界を超えた自民党の「政治とカネ」問題
公明党が連立解消という最終カードを切らざるを得なかった最大の理由は、自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題でした。「大衆とともに」を立党精神に掲げ、クリーンな政治を標榜してきた公明党にとって、自民党の底なしの金権体質は到底看過できるものではありませんでした。
- 支持者からの厳しい視線: 公明党の支持母体である創価学会員は、とりわけ政治の「清廉さ」に敏感です。連立を組む自民党の不祥事は、あたかも公明党自身の問題であるかのように受け止められ、支持者や学会員からは「なぜあんな党と手を組んでいるのか」「説明責任を果たせ」という厳しい声が執行部に絶え間なく突き付けられていました。2024年の衆院選、そして2025年の都議選、参院選での連敗は、この「政治とカネ」問題に対する有権者の厳しい審判であり、公明党もその津波に飲み込まれた形でした。
- 改革への鈍い対応: 公明党は連立維持の条件として、自民党に対し、企業・団体献金の抜本的な規制強化や、不記載事案の全容解明などを繰り返し要求しました。しかし、自民党側の対応は常に「検討する」という言葉を繰り返すばかりで、改革に対する本気度は感じられませんでした。業界団体とのしがらみが深い自民党にとって、企業・団体献金の禁止は自らの首を絞めるに等しく、公明党の要求を丸呑みすることはできなかったのです。
引き金その2:高市早苗・新総裁の誕生と「価値観の断絶」
2025年10月、石破茂氏に代わる新たな自民党総裁に高市早苗氏が選出されたことは、自公関係にとって決定的な転換点となりました。これまでの自民党総裁とは一線を画す高市氏の保守的な政治信条と、公明党とのコミュニケーション不足が、両党の間に修復不可能な亀裂を生み出したのです。
- 政策的な隔たり: 高市氏は、憲法9条改正、敵基地攻撃能力の保有、そして靖国神社参拝にも前向きな姿勢を示すなど、タカ派的な色彩の濃い政治家です。これは、「平和の党」を掲げ、憲法改正に慎重で、対話による外交を重視する公明党の理念とはまさに対極にあります。安倍政権下でさえ、安全保障政策を巡って両党は激しい議論を戦わせてきましたが、高市総裁の誕生により、その政策的な隔たりはもはや「調整」が不可能なレベルにまで広がってしまいました。
- コミュニケーションパイプの欠如: これまでの自公連立は、安倍晋三元首相や菅義偉前首相といった、公明党・創価学会と太いパイプを持つ政治家が存在することで、水面下での調整が可能でした。しかし、高市総裁やその周辺には、公明党幹部と個人的な信頼関係を築いている人物が乏しく、重要な政策課題について率直な意見交換ができる関係性がありませんでした。さらに、高市氏を後ろ盾するのが、公明党との距離が指摘される麻生太郎元首相であったことも、関係悪化に拍車をかけました。
- 公明党軽視の姿勢: 高市執行部は、少数与党となった政権を安定させるため、日本維新の会や国民民主党との連携を模索し始めました。これは政権運営上、当然の戦略ではありますが、公明党の目には「自分たちは軽んじられている」と映りました。26年間、苦楽を共にしてきたパートナーに対する配慮の欠如が、公明党のプライドを傷つけ、離反の決意を固めさせた側面は否定できません。
決裂の瞬間 – 最後の党首会談
2025年10月10日、永田町の空には重苦しい緊張感が漂っていました。自民党本部で行われた高市総裁と斉藤代表による最後の党首会談。公明党は、「政治とカネ」問題に関する改革案を最後の交渉カードとして提示しましたが、高市総裁から「党内手続きが必要」として即答を得ることはできませんでした。
公明党の斉藤代表は会談後、記者団に対し、厳しい表情でこう語りました。
「自公連立政権についてはいったん白紙とし、これまでの関係に区切りをつけることとしたい。首班指名で『高市早苗』と書くことはできない」
高市総裁は「一方的に離脱を伝えられた。大変残念だ」と不快感を滲ませましたが、公明党にしてみれば、これは「一方的」な通告などではなく、再三にわたる警告を無視され続けた末の、当然の帰結でした。ある公明党幹部は「もはや自民党に付き合う義理はない」と吐き捨てたと言います。
こうして、四半世紀以上にわたって日本政治の骨格を成してきた自公連立は、互いの不信と価値観の断絶の末に、崩壊の時を迎えたのです。それは、自民党一強時代の終わりを告げるとともに、公明党が自らの存在意義を賭けて、荒野へと一歩を踏み出す瞬間でもありました。
第3章:禁断の策か、生き残りへの活路か – 浮上した「重複立候補」解禁論
自公連立という強力な船を降り、単独で政界という荒波に乗り出すことを決めた公明党。しかし、その前途には厳しい現実が待ち受けていました。2024年の衆院選で露呈した、自力での議席獲得能力の低下という深刻な問題です。この危機的状況を乗り越えるための「最後の手段」として、党内で急速に浮上してきたのが、これまで禁じ手としてきた「重複立候補」の解禁論でした。
公明党の「伝統」- なぜ重複立候補を禁じてきたのか
衆議院議員選挙における重複立候補制度とは、一人の候補者が「小選挙区」と「比例代表」の両方に立候補できる制度です。小選挙区でたとえ落選しても、比例代表の名簿に登載されていれば、党の比例での得票数に応じて「復活当選」できる可能性があるため、多くの政党がこの制度を活用しています。
しかし、公明党は1996年の小選挙区比例代表並立制導入以来、この重複立候補を一貫して認めてきませんでした。その理由は、主に以下の二点に集約されます。
- 「背水の陣」で選挙戦に臨む覚悟: 公明党は、小選挙区の候補者には「この選挙区で勝つしかない」という強い覚悟、いわゆる「背水の陣」で臨むことを求めてきました。比例復活という「保険」をかけずに戦うことで、候補者本人と支援者の士気を最大限に高め、選挙戦を勝ち抜くという狙いがありました。これは、クリーンでひたむきな姿勢をアピールする上でも効果的だと考えられていました。
- 「ゾンビ議員」批判の回避: 小選挙区で有権者から「ノー」を突きつけられた候補者が、比例代表でいとも簡単に復活当選する様は、しばしば「ゾンビのようだ」と揶揄されます。これは、民意を軽んじる制度であるとの批判が根強く、公明党はこうした批判を避けることで、政治姿勢の潔白さを保とうとしてきました。
2024年の衆院選でも、党代表であった石井啓一氏は「代表が重複を決めると士気が下がる。小選挙区一本でやる気持ちだ」と述べ、重複立候補をしない方針を明確にしていました。この「重複なし」という方針は、公明党のアイデンティティの一部ですらあったのです。
伝統を覆すほどの危機感 – 解禁論の台頭
その「伝統」を覆してでも、重複立候補に活路を見出さなければならないほど、現在の公明党が置かれた状況は深刻です。連立解消により、これまでのように自民党からの手厚い選挙協力は期待できません。次期衆院選では、かつて公明党に議席を譲っていた選挙区に、自民党が対立候補を立ててくる可能性も十分に考えられます。
このような状況下で、西田実仁幹事長が「選挙協力がない前提でどう党勢を拡大していくか、戦略の見直しが必要になる」と発言するなど、党執行部内からも公然と戦略転換の必要性が語られるようになりました。
重複立候補を解禁すれば、以下のようなメリットが期待できます。
- 議席確保の可能性向上: 小選挙区で惜敗しても、比例での復活が見込めるため、党としての総議席数の減少を食い止められる可能性が高まります。
- 候補者の心理的負担の軽減: 「落ちたら終わり」というプレッシャーから解放されることで、より多くの人材が立候補しやすくなるという側面もあります。
- 戦略的な候補者擁立: 激戦が予想される選挙区にあえて有力候補を立て、たとえ小選挙区で敗れても比例で救済し、敵対候補の票を削る、といった戦略的な戦い方も可能になります。
「ゾンビ政党」への道か – 国民からの厳しい視線
しかし、重複立候補の解禁には、メリットを上回るほどの大きなデメリットとリスクが伴います。ビデオの中でも指摘されているように、ネット上ではすでに「ゾンビ政党がゾンビ議員を生み出そうとしている」「民意を無視する気か」といった厳しい批判の声が渦巻いています。
- 民意の軽視: 小選挙区は、候補者個人を選ぶ選挙です。そこで明確に示された「落選」という民意を、政党の都合で覆すことへの反発は必至です。
- 党の理念との矛盾: 「クリーンな政治」「大衆とともに」という立党精神を掲げてきた公明党が、民意を軽んじると受け取られかねない制度に手を染めることは、自己矛盾であり、支持者離れを加速させる危険性があります。
- 時代の流れへの逆行: 近年、政治改革の流れの中で、議員定数の削減や選挙制度の見直しが議論されています。その中で、民意との乖離が指摘される比例復活制度については、廃止や見直しを求める声も少なくありません。そうした中で公明党が重複立候補に踏み切ることは、時代の流れに逆行する動きと見なされるでしょう。
斉藤鉄夫代表は、重複立候補の可能性を否定しないまでも、その導入には慎重な姿勢を見せています。しかし、党勢の回復が見込めないまま次期衆院選に突入すれば、背に腹は代えられず、この「禁断の策」に手を出さざるを得なくなる可能性は日に日に高まっています。
もし公明党が重複立候補を解禁すれば、それは党の歴史における大きな汚点となり、有権者からの信頼を決定的に失う「パンドラの箱」を開けることになるかもしれません。生き残りのための現実的な選択か、それとも理念を捨てた堕落か。公明党は今、極めて重い決断を迫られているのです。
第4章:岐路に立つ平和の党 – 公明党の未来と日本の政局
自公連立という巨大な船から降り、重複立候補という新たな羅針盤を手にするかもしれない公明党。その航海の先に、どのような未来が待ち受けているのでしょうか。野党となった今、公明党は日本政治の中でどのような役割を果たし、存在感を示していくのか。その針路は、日本の政局全体を左右する重要な要素となります。
野党としての立ち位置 – キャスティングボートを握れるか
連立を解消したことで、公明党は2009年の下野以来、再び野党の立場となりました。しかし、単に政府を批判するだけの「万年野党」に甘んじるつもりは毛頭ないでしょう。衆参両院で一定の議席数を有する公明党は、今後の国会運営において、重要なキャスティングボートを握る存在となる可能性があります。
- 是々非々の対応: 斉藤代表は連立解消後、「政策ごとに賛成すべきものは賛成していく」と述べ、是々非々の立場で政権と向き合う姿勢を示しています。これまで与党として培ってきた政策立案能力や官僚とのパイプを活かし、個別の法案修正などを通じて影響力を行使していく戦略が考えられます。
- 他の野党との連携: 連立解消後、公明党は立憲民主党や日本維新の会、国民民主党といった他の野党との連携も模索し始めています。特に、首相指名選挙や重要法案の採決において、野党が結束して対応できれば、少数与党となった自民党政権を追い込むことも可能です。斉藤代表は国政選挙で野党候補を支援する可能性にも言及しており、今後の選挙協力のあり方が注目されます。
- 自民党との関係: 一度袂を分かったとはいえ、26年間の関係が完全に断ち切れるわけではありません。地方議会レベルでは、自公の協力関係が継続しているケースも多く見られます。将来的に政権が不安定化した場合、政策テーマごとの部分的な協力や、さらには連立の再構築といった可能性もゼロとは言い切れません。ただし、斉藤代表は連立復帰には「なかなか大きな決断だ」と慎重な姿勢を示しており、そのハードルは極めて高いと言えるでしょう。
支持母体・創価学会との新たな関係
公明党の政治活動の根幹を支えてきた創価学会との関係も、新たな局面を迎える可能性があります。
- 選挙負担の軽減と小選挙区からの撤退?: これまで創価学会員は、自民党候補の支援も含め、選挙のたびに大きな負担を強いられてきました。連立が解消され、小選挙区での勝利が困難になる中で、学会内から「無理に小選挙区に候補者を立てる必要はないのではないか」「比例代表に専念すべきだ」という声が強まる可能性があります。これは、学会員の負担を軽減すると同時に、党のエネルギーをより当選可能性の高い比例代表に集中させるという合理的な判断とも言えます。
- 海外布教との兼ね合い: 近年、創価学会は海外での布教活動に力を入れています。国内での過度な政治活動が、海外でのイメージに与える影響を懸念する声も存在します。連立解消を機に、国内の政治活動との距離感を見直す動きが出てくるかもしれません。
- 「平和の党」としての原点回帰: 自民党との連立下では、時に「平和の党」の理念が揺らぐ場面もありました。野党となったことで、しがらみから解放され、より自由に平和主義や福祉政策を訴えることができるようになります。これは、創価学会の本来の理念とも合致するものであり、支持者の求心力を回復させるきっかけになる可能性を秘めています。
公明党が生き残る道 – 課題と展望
高齢化する支持層に依存したままでは、党の未来はありません。公明党が再び輝きを取り戻すためには、新たな支持層の開拓が不可欠です。
- 政策によるアピール: 公明党はこれまで、軽減税率の導入や10万円の一律給付金など、生活者の視点に立った政策を実現してきました。今後は、こうした実績をさらに強くアピールするとともに、若者や女性、非正規雇用者など、現代社会が抱える課題に寄り添った政策を打ち出し、共感を広げていく必要があります。
- 対話と調整能力の発揮: 公明党の強みの一つは、イデオロギーに偏らず、異なる意見を持つ人々との対話を重視し、合意形成を図る調整能力にあります。政治の分断が深刻化する現代において、この能力はますます重要性を増しています。与野党の橋渡し役として、建設的な議論をリードすることができれば、独自の存在価値を示すことができるでしょう。
しかし、その道のりは決して平坦ではありません。維新との熾烈な競争、立憲民主党など他のリベラル政党との支持層の奪い合いなど、厳しい生存競争が待ち受けています。特に、これまで激しく対立してきた維新が議席を伸ばす関西地区での党勢回復は、喫緊の課題です。
公明党は今、まさに存亡の危機に立たされています。しかし、それは同時に、自らの原点を見つめ直し、新たな政党として生まれ変わるための好機でもあります。
まとめ:荒野に立つ公明党 – 消滅か、それとも再生か
26年という長きにわたる自公連立政権の崩壊は、日本政治の安定期が終わり、新たな混沌の時代が始まったことを告げています。その中心で、公明党はかつてないほどの激しい嵐に翻弄されています。
- 構造的な危機: 衆院選での惨敗は、支持母体である創価学会の組織力低下と、連立による党の理念の希薄化という、公明党が抱える構造的な問題を浮き彫りにしました。
- 連立解消という賭け: 自民党の「政治とカネ」の問題と、高市新総裁との価値観の断絶を前に、公明党は連立解消という大きな賭けに出ました。これは、党の存続をかけた苦渋の決断でした。
- 「ゾンビ議員」という劇薬: 自力での議席獲得が困難になる中、党内ではこれまで禁じてきた「重複立候補」の解禁論が浮上しています。しかし、これは民意を軽んじる「ゾンビ議員」を生み出す劇薬であり、党の理念を根底から覆しかねない危険な選択です。
野党となった公明党の前途は、まさに荒野そのものです。しかし、この危機は同時に、再生へのチャンスでもあります。「平和と福祉」という立党の原点に立ち返り、生活者のための政策を粘り強く実現していくこと。そして、分断された政治の中で、対話と協調のハブとしての役割を果たすこと。それこそが、公明党がこの荒野で生き抜くための唯一の道標となるでしょう。
国民は、公明党が目先の議席確保のために「ゾンビ戦法」という安易な道を選ぶのか、それとも困難な道であっても、自らの理念を貫き、国民の信頼を回復する道を選ぶのかを、厳しく見つめています。
「大衆とともに」歩むのか、それとも大衆に見捨てられ、歴史の波間に消えていくのか。公明党の真価が問われるのは、まさにこれからです。そして、その選択は、今後の日本政治の姿を大きく左右することになるでしょう。私たち有権者は、その一挙手一投足を、決して見逃してはなりません。


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